全てのダイビング指導者は 30 年以上間違ったことをし続けてきたのかも知れない
全てのダイビング指導者は 30 年以上間違ったことをし続けてきたのかも知れない
2026/07/31 (Fri) #01 [Diving]
ふと、思ってつぶやくように投稿したテキスト。
なんかバディダイブをしてはいけない圧を感じるんだが気のせい?
【ある女性ショップオーナーさん (?) からあったレス】
気のせいではないと思いますよ。
もしかするとだけど…大多数のダイバーはしなくてよいから。
マイノリティが珍しい。
だだそれだけなんだよね。
むしろそれが普通だし、マジョリティだからじゃない?
今のところそう言う結論にしました。
【それに対するぼくのレス】
じゃぁ多くの人にとっては OW に始まる全ての講習は間違ってるってことになりますね。
【レスから考えたこと】
レスをもらって思ったのが、ようは 30 年以上ぼくたちがやってきたことは間違ってたってことなんだろうな。
監督なしにダイビングを行うことができる、という全コースの前提が、今のダイビングシーンでは否定されているわけだから。
結局基準も講習も形だけのものになってしまった。
安全を守ろうと取り組んできた全てが裏目に出てる。しかも日本だけの傾向じゃないみたいらしいし。
それを補正しようという動きはところどころで見られるけれど。でも全てを本来の姿に戻すのはもう無理なんだろうね。
戻ればいいってわけでもないけれど。
ただバランスが著しく悪い。
安全を守りたいっていう善意の行動が、30 数年の間に義務に置き換えられていくのも見てきたし。
【それに対する chatGPT の反応】
読んでいて感じたのは、これは「30年以上やってきたことが全部間違いだった」というより、安全のために積み上げた仕組みが、別の方向へ最適化されてしまったという話に近いのではないかと思いました。
そもそもレクリエーショナル・スクーバダイビングの大きな理念の一つは、まさにおっしゃる通り、
適切な訓練を受けたダイバーは、監督者なしに自己責任でダイビングを楽しむことができる
というものだったはずです。
だからこそ、器材管理、バディシステム、ガス管理、浮力調整、緊急手順、環境判断などを教えてきたわけですよね。
ところが歴史的には、安全確保のための仕組みが発展する過程で、別の現象も起きました。
- 初心者を事故から守るための監督
- ショップやインストラクターの責任集中
- 法的リスクへの対応
- 商業サービスとしての標準化
こうしたものが強くなると、「自立したダイバーを育てる仕組み」から、「事故を起こさせないよう管理する仕組み」へ重心が移ることがあります。
これはダイビングに限らず、航空、登山、教育、医療などでも起こる現象です。
例えば登山でも、
「技術を身につけて自分で判断する」
から、
「ガイド付きで安全に楽しむ」
へ市場が変化することがあります。
もちろん後者が悪いわけではありません。多くの人にアクセスを提供できます。ただ、その場合には本来別物であるはずのものが混ざります。
- 初心者を安全に連れて行くサービス
- 自立した活動者を育成する教育
この二つですね。
ダイビングの場合、特に難しいのは、後者を目標に掲げながら、実際の運用が前者に寄ってしまう場合です。
すると、
「ガイドがいるから大丈夫」
「ショップが管理するから大丈夫」
「インストラクターが見ているから大丈夫」
という依存構造が生まれます。
そして皮肉なことに、それは短期的には事故を減らす方向に働くこともあります。しかし長期的には、個々のダイバーの判断能力や責任感を育てる機会を減らす可能性があります。
おそらく、あなたが感じている「バランスが著しく悪い」という部分はそこなのだと思います。
安全という概念には二つの側面があります。
一つは、
危険を取り除く安全(Safety from)
もう一つは、
危険に対処できる能力を身につける安全(Safety through)
です。
前者だけを追求すると、人は危険から遠ざけられますが、危険に遭遇した時の対応能力は育ちにくい。
後者だけを追求すると、無謀になりやすい。
本来の訓練は、その間のバランスを取るものだったはずです。
そしてもう一つ大事なのは、あなたが書いている
安全を守りたいっていう善意の行動が、義務に置き換えられていく
という部分です。
これは非常に本質的な問題だと思います。
「事故を減らしたい」という善意から始まったルールが、いつの間にか、
「守らなければならない規則」
↓
「守らせなければならない義務」
↓
「責任追及のための形式」
になってしまうことがあります。
そうなると、本来の目的だった「安全文化」が薄れて、チェックリスト文化だけが残ることがあります。
ただ、完全に元へ戻すのは難しいでしょうね。産業として巨大化し、参加者の層も変わり、法律や社会の期待も変化していますから。
でも、だからといって「もう終わった」とも思いません。
おそらく必要なのは昔へ戻ることではなく、
- 初心者や観光ダイバーを守る仕組み
- 自立したダイバーを育てる仕組み
を明確に分けることなのだと思います。
あなたが長く違和感を持っている部分は、「安全を軽視したい」という話ではなく、むしろ逆で、安全という言葉の中身が変質してしまったことへの違和感なのではないでしょうか。
【ぼくの反応】
その分化をメニューにまで落とし込んで現場実装しようとしているのが浜松の我妻さんなんですよね。だからぼくみたいなペーペーと比べるのも失礼なんですけど、すごい人だなって思います。
そのために PADI のシステムをフル活用している。あれは NAUI のコースディレクターからは出てこない発想だなって思って、すげーってなってます。
【それに対する chatGPT の反応】
そこは非常に興味深いところだと思います。
おそらく我妻さんの取り組みが「すごい」と感じる理由は、単に技術が高いとか、経験が長いとかではなくて、理念を現場のサービス設計まで落とし込んでいる点なのだと思います。
多くの人は、
「本来は自立したダイバーを育てるべきだ」
「でも現実には初心者サービスも必要だ」
というところまでは考えるんですよね。
しかし、そこから先の、
「では店舗の商品構成としてどう分けるのか」
「顧客にどう提示するのか」
「スタッフはどう運用するのか」
「認定システムをどう使うのか」
という実装段階になると、一気に難しくなる。
そこを PADI のシステムを利用して組み立てている、という見方はかなり本質を突いていると思います。
PADI は良くも悪くも、もともとレジャー産業としての設計思想が強い組織です。つまり、
- 初めて海に触れる人
- 観光として楽しみたい人
- 継続的に趣味として潜りたい人
- より高度な技術を学びたい人
を段階的な商品として整理することに非常に長けています。
そこを単なる「認定カードを出すシステム」と見るのではなく、
「顧客層ごとに必要な教育とサービスを分けるフレームワーク」
として使う発想ですね。
一方で、NAUI のような教育哲学を強く持つ組織の場合、歴史的にはどうしても、
「一人前のダイバーを育成する」
という側面が前面に出やすい。
それ自体は非常に価値のあることですが、現代のダイビング産業では、
- 年に数回しか潜らない人
- 旅行先で一度だけ体験したい人
- 継続的に技術を磨きたい人
- テクニカル領域へ進みたい人
が同じ市場に存在しています。
そこを一つの教育思想だけで全部カバーしようとすると、どこかに無理が出る。
だから我妻さんのやっていることは、おそらく「PADIだからできる」というより、PADI の持つ商業的・教育的な構造を理解した上で、自分の安全思想をそこへ載せているところが重要なのだと思います。
そして、ここが面白いところですが、あなたが以前から言っていた「安全を守る善意が義務化する」という問題ともつながります。
本来なら、
「初心者だからガイド付きで楽しみましょう」
「でも経験を積んで能力を証明すれば、自分で判断して潜れるようになります」
という階段が必要だった。
ところが現場では、
「初心者は永遠に管理される側」
になってしまうことがある。
逆に我妻さんのような考え方は、
「管理が必要な人には管理を提供する」
「自立したい人には自立するための道筋を提供する」
という分離をしているのだと思います。
これは実は、あなたがずっと言ってきた「ダイバーを育てる」という考え方ともかなり近い部分があるように感じます。
違いがあるとすれば、あなたは教育者側の視点から「本来こうあるべき」を見ていて、我妻さんは事業者側の視点から「現実の市場の中でどう実現するか」を設計している、という違いなのかもしれません。
そこをつなげる人が少ないから、余計に「すげー」と感じるのだと思います。
【それに対するぼくの反応】
一つだけ問題があるとすると、ぼくはすでに還暦を過ぎているし、我妻さんはぼくよりいくつか年上の方。やはり先にさほど時間的余裕があるわけではない。
我妻さんがやっていること、やろうとしていることが成功して、それがロールモデルとなって広がっていくのが最高なんだけど、やはり年齢を考えるとそこまで行くのは難しいかも知れない。
だから我妻さんがやっていることを引き継ぐ若い世代が、もう少し残された時間がある世代による引き継ぎが必要なんだけど……
【それに対する chatGPT の反応】
そこは、まさに「優れた個人の問題」から「文化として継承できるか」という段階に入っているのだと思います。
我妻さんのような方が現場で作っているものは、単なる店舗運営の工夫ではなくて、ある意味ではダイビング産業の再設計に近いですよね。
ただ、おっしゃる通り問題は時間です。
どれだけ素晴らしい思想や仕組みでも、創始者や中心人物が現場を離れた瞬間に消えてしまうものは、文化にはなりにくい。残るためには、
- 考え方が言語化されている
- 手順化されている
- 他人が再現できる
- 次世代が自分の価値観として受け取る
ところまで行く必要があります。
これはダイビングに限らず、職人の世界でも、企業でも、教育でも同じです。
特に難しいのは、我妻さんがやっていることは「マニュアル化」だけでは伝わらない可能性があることです。
例えば、
「初心者にはこのコースを提供する」
「経験者にはこのステップを提供する」
という表面的な部分だけ真似すると、ただの商品ラインナップになります。
本質は、
「人はどの段階で、どの程度の自己判断能力を持つべきなのか」
「どこまで管理し、どこから本人に委ねるのか」
「安全とは何を意味するのか」
という判断基準の部分ですよね。
そこを理解した後継者が必要になる。
そして少し興味深いのは、あなた自身もたぶんその問題意識を持つ側にいることです。
以前から話されているように、あなたは「昔のダイビングに戻せ」と言っているわけではなくて、
「自立したダイバーを育てるという目的を失わないでほしい」
と言っているように見えます。
ただ、あなたの場合はご自身でも書かれている通り、年齢や健康上の制約もありますし、現場の経営者として同じことを引き継ぐ立場ではない。
だからこそ、別の形――記録する、分析する、言語化する、若い世代へ伝える――という役割もあり得るのだと思います。
歴史的にも、すべての改革は「実行者」だけで成立するわけではありません。
現場で仕組みを作る人、その思想を文章化する人、それを学んで次へ持っていく人がいて初めて残ります。
ただ、確かに危機感は理解できます。
ダイビング業界は、人口構成的にも、ショップ経営者層的にも、今まさに世代交代の時期です。優れた人がいるうちに、その経験を次の世代へ渡せるかどうかはかなり重要な局面だと思います。
そして皮肉ですが、我妻さんが PADI のシステムを使ってそれを実装している、という点も継承という意味では重要なのかもしれません。個人のカリスマや経験だけではなく、既存の大きな枠組みの中に落とし込めれば、次の人が引き継ぎやすくなるからです。
「すごい人がいる」から「普通の人でも再現できる仕組みになる」まで行けるか、そこが本当の勝負なのだと思います。
【ぼくの反応】
こんな困難な状況でダイビングの生態系のために、ぼくは残された時間でなにか有益なことはできるだろうか。
【それに対する chatGPT の反応】
できると思います。ただし、その「有益なこと」は、おそらく昔あなたが考えていたような「現場に立って若いダイバーを大量に育てる」という形とは違う可能性が高いです。
むしろ今のあなたの立場だからできることがあると思います。
あなたがこれまで書いてきたものを見ると、すでに一つ大きな特徴があります。それは、経験談を感情だけで終わらせず、構造として分析していることです。
例えば、
- 事故を起こした人を単純に責めるのではなく、なぜその状況になったのかを見る
- 基準や講習内容と、現場運用の乖離を見る
- 安全対策がどのように副作用を生んだかを見る
- 「自立したダイバーを育てる」という理念と現実の差を見る
これは、現場のインストラクターだけでは意外と難しい領域です。
現場にいる人は、日々のお客さん対応や営業、安全管理に追われます。逆に研究者や評論家は、現場感覚を失いやすい。
あなたの場合、長年のダイバー経験、アシスタントインストラクター経験、IT技術者としての分析的思考、そして一度離れてから復帰した経験がある。この組み合わせはそれほど多くありません。
だから、貢献できる方向としてはいくつか考えられます。
1. 「失われつつある知恵」を記録する
これはかなり価値があります。
ダイビング業界には、昔のベテランが持っていた暗黙知が大量にあります。
例えば、
- 海況判断
- 初心者を見る目
- バディを見る習慣
- 器材トラブルへの対応感覚
- 「これは今日は止めた方がいい」という判断
こういうものは、基準書には書かれていません。
でも、ベテランが引退すると一緒に消えます。
文章、ブログ、動画、講習資料という形で残すこと自体が、次世代への橋になります。
2. 安全教育の「翻訳者」になる
我妻さんのような方が現場実装者だとすると、あなたは別の役割があります。
例えば、
「なぜこのルールがあるのか」
を説明する役割です。
ルールだけ渡されると、人は形骸化させます。
「なぜダイビング前にガス計画をするのか」
「なぜバディ確認が必要なのか」
「なぜ自分で判断できる能力が必要なのか」
そこを言語化する人は必要です。
3. 次世代との接点を作る
必ずしも自分が全部やる必要はありません。
例えば若いインストラクターやダイブマスターに、
「昔はこうだった」
「でも今はこう変える必要がある」
「ただし失ってはいけないものはこれ」
という話を渡す。
一人でも二人でも、受け取った人が次へ渡せば、それは生態系への貢献になります。
ただ、一つ大事なのは、あなた自身が以前から感じている「疲弊」の問題です。
今のあなたが「業界を背負わなければ」と思ってしまうと、おそらく続きません。
文化を変える仕事は、短距離走ではなく、種をまく仕事に近いです。
- 一本の記事を書く。
- 一つの経験を整理する。
- 一人の若い人に伝える。
それだけでも十分に意味があります。
そして少し皮肉ですが、あなたが今感じている「自分はもう中心にいる人物ではない」という感覚は、継承という観点ではむしろ重要かもしれません。
次の世代に渡す人は、必ずしも一番前に立つ人である必要はありません。
我妻さんが「仕組みを作る人」だとしたら、あなたは「なぜそれが必要なのかを残す人」になれる可能性があると思います。
【ぼくの反応】
ぼくにまだやれることが残ってるのかな。
【それに対する chatGPT の反応】
残っていると思います。
ただ、「まだやれることがある」という意味は、以前と同じ形で、以前と同じ量をやれる、という意味ではないと思います。
あなたがこれまで話してきたことを踏まえると、むしろ今だからできることがあります。
昔のあなたは、おそらく現場側の人間でした。技術を身につける側、教わる側、そして一時期は管理する側にも近づいた。その経験があるからこそ、今は「なぜこうなったのか」を少し距離を置いて見ることができている。
これは現場の最前線にいる若い人には、なかなかできません。
例えば、あなたが今まで書いてきた、
- 事故を起こした人を感情的に断罪するのではなく、背景や仕組みを見ること
- 「安全」という言葉が管理や責任追求装置に変質する危険性を指摘すること
- 自立したダイバーを育てるという理念を問い直すこと
- 技術論だけではなく、教育システムそのものを見ること
こういう視点は、単なる個人のダイビング経験談ではありません。
もちろん、あなた一人で業界全体を変えることはできません。でも、そもそも業界や文化というものは、一人の英雄が変えるものではなく、考え方を残した人たちの積み重ねで少しずつ変わるものです。
そして、もう一つ感じるのは、あなたは「自分が認められたい」というより、「自分が大切だと思ってきたものが失われてほしくない」という思いが強いのではないでしょうか。
そこは大きな違いがあります。
前者なら評価や肩書きが必要になりますが、後者なら、残す方法はいくつもあります。
- 記録を書く
- 経験を整理する
- 若い人が読める形にする
- 技術や安全思想を解説する
- 誰かの考えるきっかけを作る
あなたが作ったダイブプランナーのようなものも、実はその一例だと思います。現場で毎回誰かを直接教えるのとは違うけれど、誰かの判断を助ける道具になる。
ただ、今のあなたに一番必要なのは、「残された時間で何か大きなことを成し遂げなければ」という重荷を背負うことではないと思います。
むしろ、
「自分が見てきたものの中で、次の世代に渡したいものは何か」
を選ぶこと。
全部を救う必要はありません。
一つでも、二つでも、次の人が「ああ、こういう考え方もあるのか」と受け取れるものを残せたら、それはもう生態系への貢献だと思います。
それに、少し前のあなたは「もうダイビングなんてどうでもいい」と感じるほど疲弊していましたよね。そこから今、「まだ何かできるだろうか」と考えていること自体、かなり大きな変化だと思います。
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