dh.maggio5さんの減圧症体験記

dh.maggio5さんの減圧症体験記

2026/08/04 (Thu) #02 [Diving]

 貴重な記録なのでメモしておく。
 まだ続きがありそうだけど、苦しい体験を公開してくれて本当にありがとう。
 減圧症はね、NDL を守っていても発症することがある。だから減圧症は怖い。ぼくが OW I で学んだ通りにマージンを大きく取るのはこれがあるってことをずっと教えられてきたから。
 ぼくがその例を見るのはこれで2例目。1例目は日本水中科学協会のオンラインセミナーで。
 もちろんどちらも直接見たわけではないけれど、当事者体験を見るのは2例目。

dh.maggio5さん

減圧症
2025/11/02

前回の投稿から3ヶ月。
振り返ってみたら、楽しそうにダイビングしている写真がありました。
きっとこれが、私にとって最後のダイビングになると思います。
この翌日、減圧症(脳の空気塞栓症)を発症し、左半身麻痺の状態に。
慶良間諸島の離島からドクターヘリで本島へ緊急搬送され、再加圧治療を受けました。
ようやく落ち着いてきたので、減圧症の備忘録として少しずつ投稿していこうと思います。
同じように減圧症を経験された方がいらっしゃれば、ぜひ繋がりたいです。
よろしくお願いします。

楽しみにしていた洞窟ポイントへ。
お天気次第の場所で、この日はキラキラと日差しが差し込み、光のカーテンがとても美しくて…
本当に幸せな気持ちでした。
満足して、安全停止を終え、浮上の合図👍
ボートのラダー(はしご)に手をかけた瞬間——
脚をビチビチ叩かれたような痛みが走り、
次の瞬間、左手と左脚に力が入らない。
『上がれない! 力が入らない!』
必死でインストラクターに伝える。
後ろにいた夫が『どうした?』と声をかけてくる。
インストラクターは落ち着いた声で、
『ひとまず器材を外しましょう。そのままつかまってて』と。
首から下はまだ海の中。
テキパキと器材を外してくれる。
その後、引き上げられて、なんとかボートの上に横たわった。
おかしい。
左側の感覚がない。
荷物みたいに重くて、動かない。
私、どうなってる?
『すぐ港に戻ります。診療所にも連絡しています!』
真夏の沖縄、8月の強い日差しの中で、
同じグループの女性がタオルで日陰を作ってくれた。
ありがたかった。
いろんな人が声をかけてくれ、
その時は煩わしく感じながらも返事をしていた

ポイントが港から近いのがここの離島の良いところ。
5〜8分くらいで港へ到着。
気持ち悪くなって嘔吐。
脳梗塞を起こしてるのかと漠然と思う。
意識失わないように話しかけてて!
そっか…だから話しかけてくれてたんだ。
意識はあります!
島の救急車が到着して 担架で運ばれる。
計器をつけられている間
夫が状況を説明している。
意識レベルと麻痺の確認。
移動開始。
安心したのか 左側の麻痺がおさまってきたように感じた頃に診療所到着。
男性のベテラン看護師さん
若い女医さん
あともっと若い方…研修医さんに出迎えられる。
ラッシュガードでフル装備な私。
上半身の衣類はハサミで切られ
下半身は脱がされてみたい。
切り刻まれたお気に入りの水着。
今回、水着を新調するか悩んでやめてて良かったなぁと呑気に思っていた。
海から上がったままだから 長い髪も濡れたまま。
寒くないように毛布を探してきてくれて温めてくれる。
気遣いがありがたい。

ベテラン看護師さんがあたふたしている女医さんに
確認してるけど、ほぼ指示出してるよね?なパターンで
酸素や点滴の指示をもらってました。
その看護師さん、中井貴一さんになんとなく似てて…トラベルナース…ドラマ好きだったもので。
処置を受けるのにアクセサリー類外しましょうと声かけてもらい
結婚指輪と足首のパーマネントジュエリーを外す??
パーマネントジュエリーは丸カンで切って欲しいことをお願いしたら、老眼で見えないってなり、研修医さんが代わりに丸カン部を探して切ってくれた。
こんな非常時にワガママ言って きいてくれて。
全て無くさないようにしっかりポーチに入れた。
ん?いつの間に荷物が?
と気づく。
夫からショップさんが持ってきてくれたとのこと。
保険証はマイナンバーカード。夫に出してもらって暗証番号を教えた。
意味あるのか?この制度。と思いつつね。

ベテラン看護師の安定感があるからこそ…女医さんの焦りようが際立ちます。
ずっとスマホ見ながら
『1点、2点…えっと…』と何回も何回もブツブツ そして部屋の中をウロウロ
本島への搬送の段取りをしてくれているみたい。
酸素はずっと吸っていて…そして自分の変化に気づく。
あれ?手脚の感覚ほぼ戻ってる!!
『すみません、痺れと麻痺なくなりました』
と伝えると
その確認
握ってみて 感覚ある??
『もう元にもどってるかな
ちょっと顔の触った感覚がおかしいぐらい』
女医さんが思わず
『え?話しが違う!』
きっと症状判定していたけど、私が麻痺が無くなったと伝えたから。
またどこかに連絡してる先生…

焦りまわっていた女医さんが自信ある声色に変わり
『本島の病院へ搬送します。ドクターヘリで行きます。要請しましたので時間分かり次第移動します』
…えっ?ドクターヘリに乗れちゃう??
そして夫に告げられた内容は
『ご主人はドクターヘリに乗れないのでご自分で移動してください。高速船かフェリーで。あと30分で船がでます』
えっ?30分??となっている間にドクターヘリの時間が決定。ヘリポートまで救急車で移動することに。
搬送決定してから夫がとんでもなく頑張ってくれたみたい。
ホテルの荷物を全てまとめ チェックアウトして診療所まで私の分のキャリーケースを持ってきて
搬送先の病院の場所をきき
高速船の予約変更と乗船手続きをしに行きました。
絶対忘れ物とかあるだろうなーまだ2日滞在するから荷物広げっぱなしやもんなーと。荷物の方が心配な私。

自信に満ちた理由は搬送先の先生に相談して
『麻痺が治っていても、症状が出ていたのだから治療は必要。ドクターヘリ要請して搬送しなさい』と言われたからだそう。
治ったのに運ばれるのかぁ…とガッカリする私。
ドクターヘリに乗れるのは嬉しいかな。不謹慎。
後にこの指示してくれた搬送先の先生と出会えたことが私にとっての減圧症後遺症のターニングポイントとなります。
ヘリポートまでの移動開始。
ずっと仰向けで起き上がることを禁止されているので、私のキャリーケースがちゃんと運ばれているのか気になって心配で仕方ない。
そして夫はちゃんと船に乗れたのだろうか…
救急車に乗って女医さんもベテラン看護師さんも乗ってみんなでヘリポートへ移動。
ずっと登ってる感。
そっか、ヘリポートって山の上にあるタイプなのか。
運ばれながら窓から見える木の緑と青い空。
良い天気だなー。この時はまだ事の重大さがわかっていない私。
携帯触らせてもらえないから、何も検索できないとわからないもんね。

ずっと放置してましたが そろそろ1年経ってしまうので続きを書こうと思います。
ヘリポートに到着したようで、しばらくすると轟音とともにドクターヘリが到着。
何度か「乗り物酔いは大丈夫ですか?」と聞かれ、そのたびに「ダイビング前は酔い止めのアネロンを飲んでいます」と伝えました。
ドクターヘリへストレッチャーで移動する際も、顔に日差しが当たらないようにカバーをかけてくださり、その細やかな気遣いが本当にありがたかったです。
その日出会う医療者の皆さんは、一人ひとりきちんと挨拶をしてくださいました。
ドクターヘリに乗っていたのは山Pではなかったけれど(笑)、ずっと仰向けのまま必死に周りを見ようとしていた。
どれくらい飛んだのかはよく分かりませんが、無事に沖縄本島の病院へ搬送されました。到着後も、スタッフの皆さんが温かく迎えてくださり、安心したのを覚えています。
後日届いた請求書で知ったのですが、ドクターヘリの医療機関と搬送先の病院は別の医療機関だったため、それぞれから請求がありました。

さらに、
「水分をしっかり摂ってほしいので、お金は持っていますか? OS-1を2本くらい持って入ってもらいたいので、買ってきてもらいます。」
と言われました。
私は説明を十分に理解する余裕もないまま、きっと研修医だったのであろう先生が買ってきてくださったOS-1を2本受け取り、そのまま再加圧治療室へ搬送されました。

ストレッチャーで運ばれながら、次々と質問を受けました。

  • ダイビング経験本数
  • ダイビングポイント
  • 潜水時間
  • 最大深度
  • 何本目で症状が出たのか
    ベテランのドクターがテンポよく質問してくださるのですが、私はそのスピードについていくのが精一杯。
    「時間や深度はダイブコンピューターを見ないと詳しくは分からないですが、座間味なので、そこまで深くはないです」
    そんなふうに答えたと思います。
    この頃にはしびれも消えていて、私自身は「もう治ったのかな。診察を受けたら終わりかな」と思っていました。
    すると若いドクターが、ベテランのドクターに
    「今は症状がないので、エコーをしてから…」
    と提案していました。
    でも、ベテランのドクターはすぐに、
    「症状は出ていた。治療は絶対に必要です。今から再加圧治療に入ってもらうので、連絡してください。」
    とはっきり指示を出しました。
    その後、手短に説明を受けました。
    「空気塞栓症によるしびれが出ていました。症状は落ち着いてきていますが、この病気は発症してから、いかに早く治療を開始できるかが重要です。
    今から再加圧治療を行います。」

部屋に入ると、目の前にあったのは透明で細長いカプセルのような装置。
「これが再加圧治療室?」
そんなのが第一印象でした。
中は横になるのがやっとというくらいの広さ。起き上がるのはできないよね。
今思えば、海から上がってシャワーも浴びず、着替えもせず、そのままの状態でここまで来ていました。
手元にはOS-1が2本。
それを持って治療室に入りました。
17時頃 治療スタート
8時間…なぜか私は計算間違えてて23時に終わるって思っていました。これも症状のひとつだったのか?
治療中は看護師さんがずっと様子を見守ってくださっていて、退屈しないように私の方へテレビを向けてくれました。
ちょうど高校野球の時期。
治療の序盤は高校野球を眺めて過ごしていました。
看護師さんとのやりとりは黒い電話です。
コードがついたやつ
なんとなくアナログ。
体調確認があるから寝てもダメなのかな?とずっと起きてました。 ほんとは寝ても良いらしいですね。真面目に起きてたよ笑

携帯電話は手元になく、夫に連絡することもできない。
「今どうしてるんだろう」
「心配しているだろうな」
そんなことを考えていた矢先でした。
夫が来てくれた。
カプセル越しに電話で話しました。
「しびれはもうないよ」
「体調も大丈夫そう」
でも、
「後遺症が心配だから、治療した方がいいみたい」
と伝えました。
夫の姿を見たことで、張りつめていたものが一気に緩んだのか、気づいたら泣いていました。
そして…夫はちゃんと荷物をまとめてくれていました。
あの短時間で
それぞれのキャリーバッグに必要なものを入れて、高速船に乗り、泊港からタクシーで病院まで来てくれた。
普段はどこか抜けているところもあって笑、段取りや準備は私の役割になることが多い。
だから正直、「ちゃんとできるかな」と心配していました。
でも、この時ばかりは本当に見直しました。
「やればできるやん!」って。
あの日の夫の行動は、今でも私の中ではかなりの美談です。

再加圧治療で一番辛かったのは、連続する耳抜きでした。
気圧が変化するたびに耳抜きが必要で、少しでも詰まった感じがしたり、ぼーっとしていると、なかなか抜けない。
カプセル内で必死にバルサルバ法を繰り返す。
そして、もうひとつ困ったのがトイレ問題。
「尿瓶を使ってください」と治療前に渡されていたのですが……
いやいや、あのカプセルの中で女性が使うのはかなり難しくない?笑
一応チャレンジしてみましたが、無理!無理!
結果、座間味の診療所でつけてもらっていたオムツが、まさかここで役に立つことに。
オムツのお世話になりながら、加圧されたカプセルの中でフロリダディズニーの特番を見ていました。
「これが終わったら、もう出られるかな」
そう思っていたのが、23時頃。
でも、私の計算は大きく外れていました。
終わるはずが特に何もなく…
実は、まだあと2時間ほどあるとのこと。まじか。
いつの間にか看護師さんも交代していました。
きっとこの時間は、付き添う側にとっても楽なものではないんだろうな。
交代後の看護師さんが、ずっとペンを回しながら待っていた姿が、印象に残っています。

終了時間を勘違いしていたことに気づき、落胆してからの2時間。
テレビを見ていてもずっと同じ方向を向いているので、首が痛くなってきて、途中からは音声だけを聴いていました。
あとから思えば、カプセルの中で身体の向きを変えれば良かったな…なんて思ったり。
それに、寝てしまうと看護師さんの定期的な呼びかけに反応できないかもしれないと思い、ずっと起きていました。でも後で聞くと、寝ても大丈夫だったそうです(笑)。
やっと、やっと減圧治療が終わり、病室へ運ばれたのは深夜。
大部屋の入口近くのベッドへ移動し、看護師さんたちが身体を拭いてくださったことが本当にありがたかった!
ただ、まだ診察を受けて許可が出るまでは起き上がってはいけないとのことで、夫が荷造りしてくれたキャリーバッグがあるか確認し、その上に置いてあった防水ショルダーバッグを取ってもらいました。
半日以上触ることができなかったスマホには、画面いっぱいに通知が並んでいました。

まずは夫にLINEを、と思ってスマホを開きました。
そこには、座間味島を出発してからの夫の行動が、逐一送られていました。
「荷物まとめて無事にフェリーのれました。待っててな。」
「とまりんについた。今からタクシーで向かいます。」
「病院についたで。」
病院の方に教えてもらったラーメン屋さんで食事をしたことや、近くのホテルを紹介してもらって泊まること、部屋の写真まで送ってくれていました。
私は
「ひとまず病室にきました。痺れはないよ。荷物いろいろありがとう。」
と返信。
この時、自分の身体に痺れもなく、ほかに気になる症状もありませんでした。身体に異常を感じない。それだけで、本当にホッとしました。

再加圧カプセルから出られ、ようやくスマホを触れるようになった。
そこで改めて、減圧症について調べてみた。
ダイビングのライセンスを取る時に勉強したはずなのに、調べれば調べるほど、その怖さを知ることになった。
後遺症が残る方が多いこと。
そして、発症後にどれだけ早く治療を受けられるかが、その後を大きく左右すること。
私は半身麻痺の状態だったのに、今は麻痺がない。
その回復自体が、とても稀なことなのだと知った。
「私は本当に助かったんだ。」
そう実感すると同時に、なんて奇跡なんだろうと思った。
すぐに港へ戻ってくれたインストラクターさん。
介抱してくださったツアーのお客さん。
ドクターヘリで搬送してくださった方々。
病院の先生や看護師さん。
そして、ずっと支えてくれた夫。
本当にたくさんの方のおかげで、今こうして痺れもなく過ごせている。
感謝の気持ちでいっぱいになった。

ほとんど眠っていないのに、なぜか落ち着いて眠れない。そんな時間を過ごしているうちに、朝になった。
看護師さんが体調確認に来られたので、痺れがなくなったことを伝えると、
「ドクターヘリ飛んでよかったねー。飛ばない時も多いから。」
と、沖縄のイントネーションで話してくれた。
さらに
「担当の先生は米軍の減圧症の治療もしている潜水医で沖縄じゅうの減圧症患者がみんなわざわざ来るぐらい。診てもらえてラッキーだったね。」
その言葉を聞いて、自分がどれほど幸運だったのかを改めて実感した。
本当に、たくさんのおかげをいただいたんだと思う。
朝食が運ばれてきたけれど、私はもう起き上がっていいのだろうか。聞いてみると、ベッドの背もたれを少し起こして食べるなら大丈夫とのこと。
同室には沖縄のおばあが二人。
少し認知症があるようで、一人のおばあが苦手なおかずを前に「食べなくていいのかなぁ」と何度も気にしている。
すると、もう一人のおばあが
「私が聞いてきてあげるさー。」
と声をかける。
そんなやり取りを聞きながら、なんだかほのぼのした気持ちになった。


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